モンテカルロと聞くと、カジノの戦略「モンテカルロ法」をイメージするプレーヤーも多いと思いますが、ランドカジノのモンテカルロカジノがあります。
ジェームス ボンド(James Bond)がバカラテーブルを壊すイメージを思い浮かべると、それがモンテカルロカジノのイメージになるかもしれません。
モナコのPrince Charles IIIが、国の経済を復興するために、モンテカルロの4分の1を新しい建設に使うことを決め、カジノはそのひとつの方法に考えられました。
パリのオペラ座の建築を手がけたCharles Garnierが、バロック様式のカジノを立てました。Francois Blancは、50年間カジノでゲームを運営する特権を手に入れました。
1898 年に、この特権は、行政機関の関心を多いに引き、個人企業Societe des Baines de Merに移行されました。1863年にこれがオープンとなってからは、世界各国のハイローラーが、運をためしにMonte Carlo Casinoに集まってくるようになりました。
モンテカルロの歴史に残る瞬間
1873年に、イギリス人エンジニアのJoseph Jaggerが、モンテカルロでルーレットを6ウィール当てるという記録を残しました。彼は、ウィールの中には極端に傾いているものがあり、その結果、特定の番号が出やすくなっていることに気がつきました。
Jaggerは、これを生かし数百万フランを稼ぎ出しました。Jaggerは、カジノがウィールの調整をしたときには、いくらかの損失を出しましたが、Jaggerは、また稼げるウィールを見つけ出しました。
カジノは結果的にJaggerの連勝を食い止めることができたのですが、彼は「モンテカルロのカジノを破産させた男」の異名をとる結果になりました。
1891年には、投資家からだまし取ったばかりの金をもって、ルーレットでひと稼ぎしようと、Charles Wellsと言う名のペテン師がモンテカルロにやってきました。
負けたら次に2倍の金額を賭け、損失を抑えるという、リスクの高いマーチンゲール法を使って、Wellsは、ラッキーなストリークにのり、100万フランを稼ぎ、モンテカルロのカジノを破産させた男のタイトルを獲得した2人目のプレーヤーとなりました。
2004年には、ポーカー世界シリーズやテレビで放映されるポーカートーナメントの人気の高まりを受け、モンテカルロのカジノは、独自のトーナメントMonte Carlo Millionsを開催するようになりました。
有名なポーカープロのPhil Iveyが、80人の対戦相手のほとんどを勝ち進み、金額は$14,000につりあがりましたが、彼は結果的に3位に終わり、Jani Sointulaが優勝しました。
2005 年に、Ivyは、第2回Monte Carlo Millionsに参戦し、ここで100万ドルの優勝賞金を獲得しました。FullTiltPokerがスポンサーをつとめる、翌日のMonte Carlo Millions Invitational Eventでも優勝を飾りました。
カジノの歴史はたどってみるととても面白いですね。
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